About Us

ご挨拶

あの東日本大震災以来、時を止めておりました旧雀島ホテル。
その一部が、多くの皆様のお力添えで、2026年7月から、ジローズガーデンとして再びお客様をお迎えすることができました。

何もしなければ何も始まらない。
このホームページもお宿も庭も、すべてが手作りの、わずか7室からのささやかな再開でございます。

「三陸美の再発見、岬から生きる勇気と心の癒しを」。
亡き大西治郎が遺したこの思いを大切に引き継ぎ、自然の恵みを感じるお宿として皆様をお迎えいたします。

ガーデンの姿が整うまでには、これから何十年という時間がかかります。
私の代では見届けることは叶わないかもしれませんが、次の世代へと紡ぎながら、歴史を重ねてまいります。
どうぞこの小さな始まりを、温かく見守っていただければ幸いに存じます。

ジローズガーデン 大西二三子

創始者 大西治郎と「ジローズガーデン」

大西治郎

昭和2年(西暦1927年)に生まれた大西治郎の人生は、常に過酷な運命、そして飽くなき挑戦の連続でした。

幼い頃に結核で余命宣告を受け、13歳で母、16歳で父を亡くし、さらに17歳で兄が戦死。
相次ぐ悲劇に自暴自棄となり特攻隊に志願するも、生き残って終戦を迎えます。

「焼け野原に丈夫な家を」と、治郎はアメリカから機械を輸入し、「日本初のコンクリートブロック製造」という一大事業に挑みましたが、そこでも想像を絶する困難が待ち受けていました。

「絶望と希望は隣り合わせ」と言われますが、治郎の現実は「絶望の後に絶望が、その次には困難が待っている」という壮絶なものでした。
それでも彼は「人生は続く。人間は生きるしかない」を口癖に、前を向き続けました。

そんな治郎が人生の後半に出会ったのが、この白銀岬です。
「この岬に立つと心が癒され、勇気が湧いてくる」――。
白銀岬の力に魅せられた彼は、東日本大震災によって施設が被災した後もこの地に残り、「人々に生きる勇気と癒しを与える場所を造りたい」と一心に庭づくりに励みました。

惜しくも施設の再開を見届けることなく、治郎は95歳でその生涯を閉じましたが、彼の志は消えていません。
現在は妻や子、そして地元の支援者たちがその想いを受け継ぎ、「ジローズガーデン」として整備を続けています。

ジローズガーデンのロゴと樅ノ木(もみのき)

山本周五郎の小説「樅ノ木は残った」は、江戸時代前期に仙台藩で起きたお家騒動を題材に、伊達62万石の藩の安泰のために、命をかけ、孤独の中で信念を貫いた家老・原田甲斐の生き様を描いた名作です。

治郎はこの小説を生涯愛し、ガーデンに育つ樅ノ木を大切にしました。

建物の正面、海岸沿いにそびえる大きな樅ノ木は、上から見ると1本の木に見えます。しかし実際には2本の木が寄り添うように並んでいて、夫婦や兄弟姉妹など、支え合う二人の姿を思わせます。

ジローズガーデンのロゴは、この樅ノ木をモチーフにデザインしました。